小原自動車工業

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HOME - THE WAY - 思い出と夢の実現

人がよく集まり
賑やかだった家

私は大学時代とサラリーマン時代の10数年以外は、ずっと故郷の沼津で過ごしています。意識するまでもなく、当たり前のように人生の背景にはいつも富士山がありました。

沼津は駿河湾に面し、富士山の裾野に位置する温暖な土地柄で、海の幸にも、山の幸にも恵まれている豊かなところです。

生まれは、昭和28(1953)年9月。弟と妹の3人兄弟の長男です。

小さな頃は虚弱体質だったようで、偏食で好き嫌いが激しく、卵くらいしか食べなかったそうです。未だに母が作ってくれた炒り卵の味は忘れられません。ガリガリに痩せていて、母はずいぶん心配し必ず毎月のように栄養注射を受けさせていたと言っていました。

ところが、小学校に入学して給食を食べるようになると体ができてきたのです。筋肉も付き、みんなと同じように遊べるようになりました。小学校の近くにあった神社でビー玉やメンコで遊び、高学年になるとソフトボールなどもできるようになっていきました。

祖父が賑やかなことが好きだったので、家にはいつも多くの人が来ていました。座敷の襖を外して大広間を作り、定期的に宴会をやっていた記憶があります。祖父は私たち孫には優しくて、よく車で海に泳ぎに連れて行ってくれたり、ときに知人たちとの野外バーベキューにも参加させてくれました。

毎年、夏になると沼津市を流れる狩野川で花火大会が行われます。そのときに川岸の料亭に親族一同が集まって花火見物をするのが習わしでした。親戚の叔父さん、叔母さん、なにより従兄弟たちと会えるのが嬉しかったのを覚えています。

父の影響で
野球にのめり込んだ

すでに書いたように父がノンプロの選手ということもあって、子供時代はスポーツといえば野球一辺倒でした。

静岡では野球放送はジャイアンツの試合しかありません。だからみんなジャイアンツファンで、父に連れられて後楽園球場に試合を見に行ったりもしました。

クラブは中学、高校ともに野球部です。中学ではピッチャーをやり、高校で内野手に転向しました。みんな食べ盛りで、野球部の合宿にはよく母が肉を差し入れてくれました。

私が通っていた沼津東高校は県内でも知られる進学校の1つでした。

2年になると国立文系、国立理系、私立文系、私立理系と自分の進路によってクラスもわけられました。やはりどこかで家を継ぐという気持ちがあったのか、私は子どもの頃から「将来の夢はエンジニア」と言い続けてきました。

それで迷わず私立理系のクラスを選んだのです。3年になって、野球部の監督が「慶應大学工学部は推薦枠があるから、応募したら」と薦めてくれました。試しに応募してみると、運よく推薦に通ることができたのです。

それが排ガス規制の研究、三菱自販への就職、そして家業の承継へとつながっていたんだなと思うと、なにか不思議な気がします。

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