私が社長に就任したのは、父が亡くなる2年前の平成5(1993)年のことでした。まだ40歳になったばかりです。
我が家は短命な家系のようで、祖父は68歳、結果的に父は69歳で亡くなるのですが、そういう思いもあって早く代を譲っておこうと考えたのかもしれません。
その数年前から、先輩に勧められ、私は『一倉定の社長学』シリーズで知られる経営コンサルタントの一倉定先生の研修に通うようになりました。5年以上通ったと思います。そこで学んだことが私の経営の柱になりました。
曰く、「お客さまを第一に考えること」「環境整備に気をつけること」「クレームには迅速に対応すること」「集中的に物事に取り組むこと」など。なかでも、お客さま第一主義に徹することの大切さは心に刻み込みました。
祖父、そして父の代を通して、当社には経営理念がありませんでした。
そこで私は、一倉先生の教えもあって、まず経営理念を作ることにしたのです。いろいろと頭を悩ませ、作り上げたのが、「自動車整備・板金・販売・保険を通じて、人々の暮らしと社会に貢献する」という理念です。社員たちには、お客さまへの奉仕を第一として、親切をモットーに技術力で地域ナンバー1になろう、と呼びかけました。
社長になった翌年の平成6年には、沖縄での一倉先生の経営計画害作成の集中セミナーにも参加し、経営計画書もつくるようになりました。平成10(1998)年に一度発表し、10年のブランクを置いて平成20(2008)年からは毎年発表しています。
経営計画書を作る前は、前年の実績を踏まえ、この部分をもう少し頑張ろう、売り上げをこれだけは増やしていこうというように、現実的な目標設定をすることしかできませんでした。しかし、経営計画書を作ることで長期的な計画やビジョンを考えることができ、それを具体的な日標として年ごとに落とし込んでいくことで社員たちの励みにもなっていったと思います。